大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)1117号 判決

原告

宮田裕

外三名

右原告ら訴訟代理人

生井重男

外一名

被告

東京都

右代表者

美濃部亮吉

右指定代理人

大川之

外二名

被告

名取光博

主文

一  被告らは各自、原告宮田裕に対し金二一二万一四一八円、同宮田真紀、同宮田茂樹、同宮田奈津に対しそれぞれ金一六一万四二七九円、及び右各金員に対する、被告東京都は昭和四四年二月一三日から、同名取光博は同年二月一二日から、いずれも支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決は、各被告に対しそれぞれ、原告宮田裕において金四〇万円宛、原告吉田真紀、同宮田茂樹、同宮田奈津において共同で金三〇万円宛の各担保を供するときは、第一項に限り、その被告に対し、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告らは各自、原告宮田裕に対し金二六五万四二〇六円、同宮田真紀、同宮田茂樹、同宮田奈津に対しそれぞれ金一七六万三一四五円、及び右各金員に対する、被告東京都は昭和四四年二月一三日から、同名取光博は同年二月一二日から、いずれも支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1(一)  原告宮田裕は訴外亡宮田武子の夫であつた者であり、原告宮田真紀、同茂樹、同奈津は、それぞれ右亡武子と右原告裕の長女、長男、二女である。

(二)  東京都立築地産院は被告東京都の経営にかかるものであり、被告名取光博は被告東京都の被用者として右産院に勤務する医師である。

2  武子(当時満三三才四ケ月)は出産に備えて、昭和四二年一月一二日より東京都立築地産院に通院を開始し、被告名取ほか同院医師らの診察及び諸検査を受けていたが、同年八月一〇日分娩のため同院に入院し、同日午後五時三五分右原告奈津を出産した。しかし分娩後も出血、続いて子宮膣上部切断手術を受けるに至り、手術中の同午後一〇時五〇分所謂弛緩性出血による出血多量並びに手術的侵襲によるショックのため死亡した。

3  分娩に伴なう死亡例の中では出血を原因とするものが大半を占めているのであるから、産院及び担当医師はこれに対する予防並びに対応処置につき充分意を尽すことを義務づけられているものであるところ、武子の死亡は次のとおり、被告名取の医師としての右注意義務懈怠により生じたものである。

(一) 貧血に対する措置について

武子は前記初診時における採血検査では、血色素がザーリ法で六五%であつたが、分娩には出血が伴い、また出血による死亡の危険性もあり得るから、このような貧血症状を呈している妊婦の場合には、医師は積極的に加療をなし貧血状態を改善すべきであるが、被告名取は遅くとも二回目の診察である同年一月三一日には武子の右状態を知悉していたにも拘らず、貧血に対する適切な処置と指導を怠り、やがてこれは武子の大量の出血による死を招いた。

(二) 輸血の開始時期について

武子に対しては、分娩直後の同年八月一〇日午後六時一〇分、あるいは遅くとも同七時二五分の時点において輸血を開始すべきであつたが、被告名取は以下の事情により、右輸血の開始時期を失した。

(1) 武子は同日午後六時一〇分には既に多量の出血があり、同六時二五分には、止常範囲の出血量である五〇〇CCを越えて、六五〇CC以上の出血を見、同七時二五分には約一一〇〇CCの出血で、血圧も最高七〇最低五〇mmHg(以下血圧は数値のみで示す)という状態であつて、武子は右六時一〇分か同六時二五分頃、または同七時二五分頃、循環血液量の不足によるショック状態に陥つていた。

(2)イ 被告名取は右六時一〇分及び同六時二五分の両時点において、助産婦山崎ヒロ子より、武子の分娩後の状態につきなお出血が異常に続くことを知らされていたのであるから、患者の基本的な症状を知るために、右時刻から少なくとも五分ないし一〇分おきに血圧、脈搏等の測定、並びに循環血液量や失血量推定のための検査や診察を行うべきであつたが、同七時二五分までの間これを怠つたために、前記ショック症状の発見が遅れた。

ロ 産婦が(1)記載のようにショック症状に陥つていた場合には、医師としてはその原因としてまず出血を考えるのが通常であり、また武子のように貧血の者は出血によつてショック状態に陥る危険性が大きいのであるが、右産後出血によるショックからの回復には輸血が有効であるから、同六時一〇分又は同七時二五分の段階で輸血に着手すべきであつたのに、同被告はこれに思い至らず、輸血の準備を怠り、同八時三〇分に漸く富士臓器製薬株式会社に対して保存血の緊急手配を依頼したのであり、輸血の開始は同八時五〇分でその時期を失した。

(三) 血液の凝固障害に対する措置について

所謂弛緩出血には、子宮の収縮不全によるものの他に血液の凝固障害によるものが含まれているが、武子の血液にはこの凝固性がなかつたのであるから、線溶阻止剤や線維素原の投与及び新鮮血の大量輸血を施す必要があつたのに、同被告は右出血原因について注意を怠り、これに関する適切な措置に至らなかつた。

(四) 子宮膣上部切断手術の実施について

(1) 武子は、手術が開始された同一〇時一〇分頃には深刻なショック状態に陥つていたのであるから、手術は成功の見込がなく、強力な蘇生術と出血に対する処置として線維素原の投与及び新鮮血の大量輸血をすべきであつたのに、同被告は敢えて手術を強行して、武子の死を現実にした。

(2) また手術に踏切る場合には、専門医の応援を得て麻酔を実施し、気管内挿管により呼吸管理を行い、血圧や脈搏の状態を把握しつつなすべきであるのにこれを怠り、手術時の患者管理そのものも疎かであつたために、この点も死亡の一因となつた。

4  仮に3の事実が認められないとしても、

前記産院の経営者である被告東京都と武子との間に、被告名取を履行補助者として善良な管理者の注意をもつて診療すべき旨の契約が締結されていたものであるところ、被告名取の過失並びに被告東京都が都立病院における保存血の確保に意を用いなかつたことにより、被告東京都は右契約に違反し、武子に対し適時に輸血できず、死亡という結果を生ぜしめた。

5  本件医療事故による損害は左記のとおりである。

(一) 逸失利益

(1) 武子は死亡当時満三三才四ケ月であつたから、昭和三五年厚生省発表の第一一回生命表によるとその余命は40.4年であり、本件医療事故に遇わなければ、その間満七〇才に達するまでの三六年間は家事労働者として労働可能であつて、右期間中は少なくとも、昭和四二年労働者の毎月勤労統計調査報告による女子労働者の平均給与月額金二万七四一七円に相当する収入を得べかりしところ、右収入を得るために控除すべき生活費を右期間中を通じて収入額の五割と見て金一万三七〇九円とすると、月間純益は金一万三七〇八円となり、中間利息の控除につきホフマン式計算法により死亡時における逸失利益を算定すると、金三四三万四一五六円となる。

(2) 武子の死亡により、原告らはその法定相続分に従い、原告裕は金一一四万四七一八円、同真紀、同茂樹、同奈津は各金七六万三一四五円の損害賠償請求権を相続した。

(二) 医療費

原告裕は、武子の医療処置に要した費用として合計金二万六八二八円を支出した。

(1) 産院に対する支払

金二万二五六八円

(2) 献血者に対する支払

金四二六〇円

(三) 葬儀費等

原告裕は、葬儀等一切の費用として合計金四八万二六六〇円を支出した。

(1) 葬儀社に対する支払

金八万七〇〇〇円

(2) 寺に対する支払(読経料、戒名料を含む)

金四万五〇〇〇円

(3) 通夜の費用

金四万八三五〇円

(4) 香典返し費用

金九万五六〇〇円

(5) 墓石代    金一八万円

(6) 納骨費用 金二万五八〇円

(7) 初七日の費用

金六一三〇円

(四) 慰謝料

原告裕は二名の幼児と生れたばかりの赤子を抱えて妻を失い、原告真紀、同茂樹、同奈津の三名は幼くしてその母を失つたものであり、原告らの蒙つた精神的打撃は甚大であつて、これを慰藉するためには各金一〇〇万円を相当とする。

よつて被告東京都に対しては民法七一五条又は同法四一五条に基づき、被告名取光博に対しては同法七〇九条に基づき、前記損害賠償額として、原告裕は金二六五万四二〇六円、同真紀、同茂樹、同奈津はそれぞれ金一七六万三一四五円、及び右各金員に対する本訴状送達の日の翌日から支払済みまでの遅延損害金として、被告東京都には昭和四四年二月一三日から被告名取には同年二月一二日から、いずれも年五分の割合による金員の支払を求める。

二、請求原因に対する認否並びに主張

1  請求原因1の事実中、(一)の事実は、原告奈津が武子の子であることは認め、その余は不知、(二)の事実は認める。

2  同2の事実は、武子の死の一因が手術的侵襲によるショックであるとする点を除き認める。

3(一)  同3(一)の事実は、初診時の採血検査の結果は認め、その余は否認する。武子の場合は大体軽症貧血(六〇ないし七〇%ザーリ)に該当するが、右程度のものは妊娠に伴つて通常予想されるところであつて、分娩のために格別支障を来すものではなく、また貧血と分娩時出血との相関関係も統計的に認められる程のものではない。従つて武子に対しては食餌療法を第一に考え、これを指導していた。

(二)(1)  同(二)(1)の事実は、同七時二五分における血圧の数値は認め、その余は否認する。同六時一〇分頃、武子の出血量は出産時の一五〇CCに三〇〇CCが加わつた程度であり、同六時二五分頃以降後記ガーゼタンポンを挿入した同七時一〇分過ぎまでの出血量もさ程のものではなく、少なくとも右時点まで武子の全身状態は正常範囲を逸脱していなかつた。

(2)  同(二)(2)イの事実は、同被告が同六時一〇分及び同六時二五分の各時点に、山崎から武子の出血が続く旨の連絡を受けていたことは認め、その余は否認する。同六時一〇分以降同七時二五分までの間血圧は測定されたが、一般状態に異常がなく、測つた血圧も正常範囲を越えていなかつたので記録に留めなかつたのである。出血量については、内出血のないことを確認した上で直接測定している。

同(二)(2)ロの事実は、同八時五〇分輸血を開始したことは認め、その余は否認する。同被告は同六時二五分の時点で、出血原因として弛緩出血を考えたが、これのみが疑いのすべてではなかつたし、前述のように同七時二五分までの出血量はそれ程多くはなく、また全身状態にも異常はなかつたのであるから、同七時二五分の血圧値については、同六時四、五〇分頃から同七時一〇分頃までになされた子宮膣充填強圧タンポン挿入による腹膜刺激によつて生じた一過性の血圧低下と見られるし、更にその背後に非出血性ショックへの進行を考えなければならず、即座に出血性ショックであると決定的な判断を下すことはできなかつた。そこで、同被告は子宮膣充填強圧タンポンから血液が滲み出るようならば輸血や手術の必要があるとして、アミノテキストラン輸液等を実施しつつ経過を見守つたところ、同七時五五分頃右タンポンから血液が滲み出して来たので、同被告は右時刻と同八時過ぎの二回にわたり、富士臓器製薬株式会社に対し各五本の保存血の緊急輸送を依頼した。ところで、出血性ショックに対しては、ショック発生後二時間以内に輸血を行うことが必要であるが、武子の場合には、同八時頃の時点で少なくとも軽度ショックが発生しており、一方輸血は通常一〇〇〇CC以上の出血の場合に行われているから、本件輸血の開始が時期を失していることは言えない。そして、当時は血清肝炎や売血の問題が騒がれた時代で、血液の供給体制も整つておらず、この面でも輸血適応の判断は慎重を期すべきであつた。

(三)  同(三)の事実は否認する。妊娠や分娩に直接関係がある血液凝固障害には、無線維素原血症ないし低線維素原血症があるが、これらの場合には胎盤早期剥離や羊水栓塞等の基礎疾患が表れ、また臨床的には全身的な出血傾向が見られる。本件において同被告は、普通の血液の状態も少し違うような印象を受けたことは確かだが、右の観点からすると臨床的に診断を下すだけの症状はなく、凝固因子の障害を認めることはできなかつた。

(四)(1)  同(四)(1)の事実は、極度の衰弱状態の下で手術が行われたことは認め、その余は否認する。同被告は同六時一〇分頃出血を見てから可能なあらゆる処置を施したが、止血できず輸血も効を奏しなかつたので、出血原因を除去するため手術しなければ循環血液量を確保できる見込みのない状態に立至つていると考え、同一〇時頃の脈搏は九二で比較的緊張も良かつたから、生命を取留める可能性が相当程度は期待できる手術に踏切つた。

(2)  同(四)(2)の事実は、蘇生術及び麻酔の実施管理につき専門医を依頼しなかつたことは認める。本件では現実に専門医の応援を得て手術管理ができる状況にはなかつた。

(被告らの主張)

武子の出産の経過並びに被告名取の採つた措置は左記のとおり、同被告に何ら過失はない。

(1)  武子は初診時において妊娠三ケ月、分娩予定日同年八月一日と診断されたが、前述のようにいく分か貧血気味であつたものの、妊娠時の所見としては特記すべき異常はなかつた。その後同年七月二七日頃から子宮口の開口が認められたが陣痛の発来なく予定日が経過したので、被告名取は同年八月一〇日午前中の診察の際誘発分娩を決意し、武子は同日午後二時一五分同産院に入院した。

(2)  入院後武子に対しては、プスコパン、ヒデルギンの筋肉注射がなされ、更にアトニンO一〇単位と五%ブドー糖液の点滴が続けられて、同五時三五分胎盤娩出を見て出産を終了したのであるが、この時点までの出血量は一五〇CCであり、この後メテルギンの筋注をした。

(3)  同六時一〇分頃の出血量は前記のとおりであり、同被告は子宮腔内の凝血排除を試みたがさしたることもなく、子宮及び軟産道に損傷がなくまた胎盤及び卵膜の残留のないことを確かめ、膣タンポンの挿入を行つたほかは、アトニンO一〇単位と五%ブドー糖液の点滴を継続し、メテルギンの静脈注射をした。

(4)  同六時二五分頃、なお出血が続いていたので同被告は再び子宮及び軟産道に異常がないことを確認の上、前記子宮膣充填強圧タンポンを挿入した。

(5)  同七時二五分頃、血圧が七〇/五〇を記録した頃より、アトニンOとブドー糖の混合液の輸液をアミノデキストラン輸液に切換え、ビタミンCとカチーフの筋注をなし、同七時三五分頃酸素吸入を開始し、メテルギンの筋注を行ない、同七時五〇分セジラニツドの筋注をした。

(6)  同七時五五分、前記のように右カーゼタンポンからの出血を見て、同被告は助産婦及び医師を緊急召集した上、輸血準備をしたが、血圧は同八時に五〇/三〇となつたので、同八時一〇分デカドロン、セジラニッドの筋注をした。

(7)  同八時五〇分、左手肘静脈、両側下肢静脈を切開し、輸血を開始した後、訴外柳田、柴田両医師を加えた三名でタンポンを除去し、産道の損傷のないことを確認してタンポンを再充填した。同九時一五分呼吸が停止したが、人工呼吸加圧呼吸により一〇分後に自発呼吸に戻つた。

(8)  同一〇時一〇分、執刀者柳田、助手被告名取、監視気道の確保柴田という分担で子宮膣上部切断手術が開始されたが、同一〇時三〇分一且呼吸停止し、直ちに蘇生器を用いたが同一〇時五〇分心停止となつた。死因は弛緩出血である。

4  同4の事実は、医療契約の存在は認め、その余は否認する。

5  同5(一)ないし(四)の事実は不知。

第三  証拠〈略〉

理由

一請求原因1(一)の事実中、原告奈津が武子の子であることは当事者間に争いがなく、原告裕本人尋問の結果(第一、二回)及び本件記録中の戸藉謄本によれば、武子と原告らの身分関係を認めることができ、同(二)の事実も争いがない。

二1  請求原因2の事実は、武子の死因として手術的侵襲によるショックが含まれるか否かの点を除いて当事者間に争いがなく、同3の事実のうち、初診時の採血検査の結果ザーリ六五%であつたこと、被告名取が同六時一〇分と同六時二五分の二回、山崎より出血が続く旨の連絡を受けたたこと同七時二五分血圧が七〇/五〇になつたこと、同八時五〇分輸血が開始されたこと、同一〇時一〇分極度の衰弱状態の下で子宮膣上部切断手術が開始されたことは当事者間に争いがない。

2  そこで、右1の争いのない事実及び右記各証拠に照らし、更に武子の本件出産前後の経過と同産院における措置につき検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

武子は昭和三五年六月同産院で原告真紀を出産した後、同三五年一二月に人工妊娠中絶を受け、同三六年から同三九年までの間に四回自然流産をし、同四〇年一月、切迫早産の虞れのため一ケ月入院して原告茂樹を出産したという既往歴があつた。

武子は本件妊娠に際しては、前記初診時において被告名取の診察を受け、妊娠三ケ月、分娩予定日同年八月一日と診断されたが、妊娠時の所見としては格別異常がなく、同被告には知人から紹介されたこともあつて、以後同年一月三一日と同年六月二〇日から同年八月一〇日まで継続して八回、合計一〇回の診察を受けた。その間妊娠の初期に二回にわたり性器外出血があつたので、流産予防のためEPデホー五〇mg及びEPホルモンをそれぞれ筋注したほかは、経過は順調であつた。なお初診のとき行われた採血検査の結果に対しては、特別の指導はなされなかつた。

被告名取の同年七月二七日の診察では、子宮口二指開大で分娩に適する状態となつていたが、そのまま予定日が経過し、同年八月一〇日午前中の診察でも右と同じ状態であつた。そこで同被告は胎児が過熱状態になることを懸念して誘発分娩を勧告し、武子は同日午後二時一五分同産院に入院した。

〈証拠判断省略〉

(二)  〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

右入院時の診察では武子の一般状態は良好(血圧は一一〇/六〇)であり、分娩室に入室した同三時五〇分の直後子宮頸管部の緊張を取除くためヒデルギン、ブスコバンの筋注が試みられた後、陳痛誘発、分娩促進を目的としてアトニンO一〇単位と五%ブドー糖液五〇〇CCの点滴が行われたところ、同四時五分初覚陣痛があり、同四時五一分の自然破水に続き、同五時二五分女児三三三〇g(原告奈津)を分娩し、同五時三五分胎盤娩出を見て出産を終了した。

右児娩出直後子官収縮作用のあるメテルギンの静注がなされたほか、同じ目的で前記点滴も続けられたが、右胎盤娩出に至るまでの出血量を膿盆に受けて測定したところ約一五〇CCであり、またこの時点では武子の一般状態に異常はなかつた。

(三)  〈証拠〉によれば、分娩終了後の武子の状態は助産婦山崎が見ていたのであるが、同人は同六時一〇分頃悪露交換に際し、出血量が通常の場合よりやや多く、血液が少しずつ出ており、腹部を触診すると血液がたまつているのではないかと思われる状態であることに気づき、その旨主治医の名取に連絡したこと、同被告は子宮膣内に手を入れて触診し、子宮破裂や子宮頸管裂傷及び胎盤の遺残はないものと認め、暗黒色の流動血を排除した上、三〇センチメートル四方のガーゼで綿花を包んだ膣タンポンを挿入してメテルギンの静注をし、前記点滴を続けたこと、こうして同被告は山崎に経過を見るように指示して、同産院の地下食堂に食事を取りに赴いたことが認められ、更に右六時一〇分の時点までの出血量は、乙第一号証の二及び第二号証の各記載に照らし、少なくとも四五〇CCを越えていたものと認めることができる。

〈証拠〉によれば、同六時二五分頃、出血がなおも続いていたので山崎は再び被告名取に連絡したこと、同被告は助産婦加田千代子を応援に頼み、腕鏡診により子宮及び軟産道の裂傷や、胎盤、卵膜の遺残がないことを再確認したが、このとき子宮口から暗黒色の流動血が少量ずつ持続的に流出しており、また血液の性状は黒ずんで凝固しにくいものであることが見られたこと、同被告は右出血の主たる原因として子宮の収縮不全による狭義の弛緩出血を考え、同六時四、五〇分から同七時一〇分頃までかかつて約五メートルのガーゼにより子宮膣充填強圧タンポンを挿入したことが認められる。

ところで、出血量については、前述のとおり、同五時三五分の分娩終了時までが一五〇CC、これから同六時一〇分までの約三五分間が少なくとも三〇〇CC位であつて、血液の流出状態が右のごとくであることに加えて乙第二号証及び甲第八号証の各記載を総合すると、右ガーゼタンポンの操作に取掛る時点までの出血総量は、少なくとも六五〇CCに達していたものと推認されるほか、前掲各証拠により、血圧については同六時一〇分頃及び加田が応援に加わつた直後頃には変化はなかつたこと、これより同七時二五分に至るまでの間、血圧の測定はなされていなかつたことが認められ、右各認定を左右すべき資料はない。

(三)  同七時二五分頃血圧を測定したところ七〇/五〇であつたのであるが、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 被告名取は右血圧低下の原因を前記ガーゼタンポン挿入による腹膜刺激によつて生じた一過性のものと判断したが、循環血液量確保のため、前記アトニンOとブドー糖の混合液の輸液をアミノデキストラン五〇〇CCの輸液に切換え、また止血を目的として同七時三〇分ビタシンC二〇〇mg、同七時三五分カチーフ、同七時四五分メテルギンの筋注をし、一方右血圧低下というショック状態に対して、同七時三〇分頃から武子の症状に応じて随時酸素吸入をなし、同七時五〇分頃強心剤のセジラニッドの筋注をし、この前後にカルニゲンを相当量投与した。

右の間血圧は、同七時三〇分、八〇/五〇、同七時三五分、八〇/六〇、同七時五〇分、最高五〇、同八時、五〇/三〇という値を示し、更にこの八時頃には腟口内から一部出ていた右ガーゼタンポンの末端より血液が滴下する状態となつた。被告名取としては、右タンポンから血液が滲み出すようなことがあれば子宮膣上部切断手術を行つて止血する以外に方法はないと考えていたので、ここに至り右手術に備え、同産院の助産婦宿舎から全部の助産婦を緊急招集し、同院の他の医師にも緊急登院を依頼したほか、後記のとおり富士臓器製薬株式会社に対してAB型の保存血の緊急輸送を頼んだ。

この他同八時以降の処置については、子宮双手マッサージと、同八時一〇分、ショック治療としてデカドロンとセジラニッドの筋注をしたが、血圧は同八時五分と同八時二五分には測定不能の状態で、同八時五〇分に至り手術の用意として、既に確保されていた右肘静脈の血管の他に新たに左手肘静脈と両側下肢静脈の血管を確保すべくこの切開に取掛つた上、前記血液到着と同時に輸血を開始した。

ところで、前記血液の緊急手配の時期について、被告名取は同七時五五分頃と同八時一寸過ぎの二回にわたり各五本(一〇〇〇CC)の輸送を依頼した旨供述するが、〈証拠〉に照らすと、右供述のみでは直ちにこれを措信し難く、かえつてこれらの証拠によれば、前記富士臓器製薬株式会社では、緊急の注文を受けた場合には自社の緊急血液輸送車一台を使用したり、時には警察に誘導を頼む等して大抵急ぎの輸送に応じていたこと、甲第九号証の注文時間の欄に記入されているのは右緊急車の出発時間であり、これによると、前記会社から緊急車が出発したのが同八時三〇分で、二〇分後に同産院に到着していること、緊急の注文のときは同社では通常五分位で用意して出発する手順になつていたこと、同年八月一〇日午後八時の少し前頃には緊急車の出動はなかつたこと、原告裕は同産院に同八時になる前頃到着し、暫くしてから分娩室に通されて武子と面会し、被告名取に手術応諾書を示されてこれに捺印した後、同被告が電話で血液を注文している声を聞いたことが認められるほか、証人加田の証言によると、当時同産院が右会社に血液を注文してからそれが到着すするまでの時間は約二〇分であつたことが認められ、これに前記認定の事実を総合すると、同被告がAB型の血液一〇本(二〇〇〇CC)の輸送を依頼した時刻は、少なくとも同八時を過ぎており、同八時二〇分頃までの間であつたものと推認すべきであつて、これを左右するに足りる確たる証拠はない。

(2) 右輸血開始後、被告名取、柳田、柴田の三名の医師は前記ガーゼタンポンを除去し、産道の損傷のないことを確認してからタンポンを再充填したが、このとき流出する血液の量は増加していた。

この後同九時一五分呼吸停止し、同九時二〇分脈搏不明の状態であつたが、これに対して陽陰圧の蘇生器を用い、強心剤のビタカンファー、カルニゲンを投与したところ、同九時二五分自然呼吸に戻つた。しかし武子の一般状態が悪く手術に着手することができなかつたので、加圧して敏速に輸血することを図り、一般状態の回復を待つた。同一〇時一分頃は心搏九二回で血圧は測定されず、その頃無酸素症によると思われるけいれんがあり、一般状態は極めて悪くショック状態にあつたので、同被告ら医師は手術を開始すべきか否かの点につき考慮したが、心臓が少しでも動いている限り、止血の最後の手段として手術に着手すべきであると決め、同一〇時一〇分執刀柳田、助手被告名取、呼吸系統の管理柴田という役割で、無麻酔の下で子宮膣上部切断術が施された。こうして同一〇時一五分子宮膣上部切断の後、同一〇時二五分心搏七〇となり、同一〇時三〇分呼吸が停止し、人工呼吸が開始され、ビタカンファー、カルニゲン、テラブチク、セジラニッドが相当量投与されたが同一〇時五〇分心停止となり死亡した。

ところで、右子宮は、開腹時の所見としては前屈超児頭大で収縮中等、浮腫状を呈し、軟らかいものであつたが、摘出部分に裂傷は存在しなかつた。また被告名取は本件事故直後に弛緩出血ならば多くの場合殆んど止血できるのに諸処置の効果がなかつたことから、血液凝固機能のどこかに異常があることが想定されるとの判断を下し、その検査の施行を必要と認めたのであるが、〈証拠〉によると、武子の死亡後のフイブリノーゲンの検査では、正常値が二〇〇ないし三〇〇mg/dlのところ、六四mg/dlであつたことが認められる。

なお、分娩時より死亡に至るまでの出血総量は推定で約二七五〇CC、輸血は二八〇〇CC、その他の輸液はアミノデキストランとフイジオゾールで一五〇〇CCであり、使用された薬品としては、他にアリナミンF五〇mgが二度静注され、ストレプトマイシン一gが腹腔内に注入された。

3  右の事実によれば、武子の死因は主として弛緩性出血による失血であり、前記手術が直接の死の転機となつたものとみるべきところ、次に弛緩性出血の症状、診断、治療等につき、検討してゆくこととする。

〈証拠〉を総合すると、左記の事実が認められ、これをゆるがすべき資料はない。

(1)  妊産婦出血(出血性ショック)は、妊娠中毒症と並んで我国における妊産婦死亡の二大原因となつているが、このうち分娩時の出血でもとりわけ経膣分娩第三期(児娩出から胎盤娩出まで)、第四期(胎盤娩出後二時間)の所謂後産期の多量出血は頻度が高くて重大なものであり、更にこの分娩時及び後産期の出血量の限界については通常多数の場合に胎盤娩出後約一時間までの総量が五〇〇mlを越える場合を異常としているが、なお右第三期で三三〇ml以上、第四期で二二〇ml以上、第三、第四期の合計で五五〇ml以上をもつて出血多量とするもの、或いは分娩時出血の生理的限界として、臨床的に六〇〇mlをもつて標準に採るものもないではなく、しかし、概ねこれらの目安により後産期出血への対応策が立てられている。

(2)  本件のような後産期出血の原因としては、(イ)子宮筋の弛緩ないしは収縮不全(狭義の弛緩出血)、(ロ)胎盤の剥離不全又は胎盤、卵膜等の遺残、(ハ)軟産道の損傷、(ニ)血液凝固障害性等、原発性(本態性)及び続発性(症候性)に分類される種々の要因があり、またそれぞれの要因についても個別的多様の性質、特徴、根源があるので、これに対する処置としてはまず第一に出血原因の的確な診断が必要不可欠視されている。

そして、主たる原因が子宮の収縮不全にあると見た場合には、第二に迅速な止血の対症措置として、速効性の子宮収縮剤の投与、子宮体の双手圧迫、子宮内の凝血塊除去等の施術が行われるが、これに伴い第三の措置として、気道及び血管を早目に確保して、酸素補給、輸液及び輸血の実施が要求される場合が多いと指摘されている。

(3)  この場合の輸血の重要性は、特に出血が死につながる危険を持つていることから、ショックとの関連において次のように説明される。

即ち一般にショックは心拍出不全、有効循環血液量の減少、末梢血行不全により特徴づけられ、その結果低血圧を伴なう症候群を言うと理解されているが、産科領域でショックを起し易い場合を大別して出血性ショックと、羊水栓塞症や仰臥位低血圧症候群等の非出血性ショックの二つに分けた場合、臨床上は明らかに出血性ショックの例が多い。このとき軽度の可逆性ショックの場合には、末梢血管系の収縮及び心拍出数の増加現象が起り、これに加えて止血及び輸血措置が採られると生体の機能はやがて正常に複するが、適当な時期に適当量の輸血が行われないと、血管系の総容積と循環血液量との間に不均衡を生じ、不可逆性のショック状態が惹起される。そして、およそショックの程度は有効循環血液量の減少度と比例していると言うことができるから、ショックからの回復にはこの有効循環血液量の不足を速やかに克服すべく、右のように適当な時間内に必要量の輸血が施されることが要請されることになる。また良好な結果を得るためには、ショックが発生してから二時間以内に輸血を行うことが必要で、これを経過すると不可逆性ショックに陥ることが多いと言われており、更に一度の大量出血がある場合でなく持続性の出血の場合には、対処法に留意しないと不可逆性のショックに陥る例が多いことが挙げられている。

ところで、出血に対する治癒法としては、後記のようになるべく各種輸液によつてこれを補うという考え方もあるが、輸液のみでは循環血量が増加するだけで、血色素濃度が薄められ、酸素交換や血液凝固性にとつて不利な状況となり、また出血傾向が起き易い等の副作用があるので、医師としては輸血開始時期を適切に捉えなければならない。

右輸血開始の判断としては、出血量と血圧数及び一般状態が目安となる。即ち、成人女子の血液量は平均六〇ないし七〇ml/kgであるが、出血量が血液量の一五%まではショックは起らない。出血量が一五ないし二〇%で一〇〇〇ml程度に達すると軽度のショック状態を呈し、二五ないし三五%で一七五〇ml程度に達した場合には、中等度(顕在性)のショック状態となり、最高血圧は九〇mmHgより七〇mmHgに低下する。出血量がこれを越えて四〇%で二〇〇〇ml程度に達すると最高血圧は七〇mmHgを割り、重症ショックであり、更にこれを越えると、危篤ショックで、最高血圧は四〇mmHg以下になる。従つて、出血量において一〇〇〇ml以上になつたとき、或いは最高血圧が七〇mmHgに低下するときは輸血適応として迅速に対応すべきであるが、出血状態が続く中で最高血圧が九〇mmHg以下を示した場合にも輸血を選ぶのが相当ないし必要である。

(4)  ところで、既に記したように、所謂弛緩出血とされている中には、低線維素原血症或いは無線維素原血症による血液凝固障害を原因とするものが含まれているが、これに対しては線溶阻止剤や線維棄原の投与及び新鮮血の大量輪血が必要である。また血液凝固障害は多量の出血によつても生ずることがあり、この凝固障害の傾向が起きることにより更に出血傾向を増大させるから、この点でも右の処置が要請される。そして産科領域におけるこれらの血液凝固障害は特に注目を引いているから、線溶阻止剤、線維素原の用意もまた要請されると共に、本件事故当時薬剤の入手も可能な状況にあつた。

(5)  以上のように、産科出血では輸血は重要な意義を有するが、二、三の調査では出血死の場合、約半数が輪血を全く受けることなく、又は輸血量が少なきに過ぎる状態の下で死亡していることが指摘されているほか、このような場合の死亡の可避性については、或いは殆んど全部を又は過半数を救急できたとする報告もあり、特に血液輸送の遅延や手持血液量の不足を致死の有力な実際的原因として挙げている向きがある。

(6)  なお輸血には血清肝炎の問題があつて、昭和四〇年、同四一年はその発生のピーク時であり、また昭和四二年当時血液の供給体制も不備な状況にあつたことから、血液に代わるものでまず体液のバランスを維持するということが医師の通念であつたが、前示のような理由から、産科医としては輸血に踏切るタイミングも念頭に置くべきであるとされ、また産科出血に際して行われる輸血は生命に関係し、緊急を要する場合が多いので、さしあたつての問題はその必要量を確保することであると唱えられていた。

(7)  後産期出血の措置としては、既述の方法によつても止血しない場合には一時的な処置として、子宮及び腟内にガーゼの強填タンポンが施されるが、最後の手段としては子宮摘出又は子宮腟上部切断の手術が考えられる。しかしこの場合、ショック状態の患者に手術の侵襲を加えると生命の危険が大きいので、一般にまず輸血してショック状態より回復させてから後になすべき必要があり患者がショック状態にある間は原則として手術的操作は行なうべきでなく、但し出血が継続し、手術以外には他に採るべき手段がない場合はこの限りでない、と言われる。

(3) 貧血については、その判定の基準となる血色素量の限界が統一されていないが、大体軽症を六〇ないし七〇%ザーリ、中等度貧血を五〇ないし六〇%ザーリ、重症貧血を五〇%ザーリ以下としているものが多い。ところで、貧血妊婦の割合につき、六二%ザーリ以下が妊娠初期で約五ないし六%、妊娠末期で約一一ないし一七%見られるという調査があるが、近年妊婦の貧血に対する関心が高まり、軽症例に対しても増血剤の投与及び食餌の指導が進められるようになつた。一方、産科ショックの予防措置として、分娩や手術前に貧血を発見し予めこれを処置しておくことが挙げられており、妊娠貧血等の患者はショックに陥り易く、また耐えにくいとされる。

(9)  以上の(1)ないし(8)の一般的認識は、本件死亡事故のあつた昭和四二年八月に近接した前後の時期における産科医学界の関係雑誌等の出版物によつても、注意深い医師にあつてはたやすく検認できる知識であり、特に新知識にかゝわる事項とも認められず、むしろ同学界における公知性の強い事項であつたと推認され、被告名取の本人尋問の結果により明らかな同被告の十分に高度な学歴、臨床歴並びに現勤務場所における責任ある地位に照らせば、同被告においてこの種の知識に欠け又は知識の入手に困難があつたとは到底認められない性質のものである。

三よつて前項1ないし3の各事実に鑑み、被告名取の過失の有無につき判断する。

本件では胎盤娩出から同六時一〇分までの僅か三五分位の間に少なくとも三〇〇CCの出血があり、前記ガーゼタンポンの操作に取掛る同六時四、五〇分頃には合計六五〇CCに達し、その頃既に正常範囲を越える出血を見たほか、なおも子宮から少量の血液が持続的に流出している状態であつた、というように、分娩時の出血の中でも特に重大視されている弛緩出血、しかも子宮の収縮不全がその原因として疑われる状態であつたのであるから、医師としては、これに対して迅速な止血措置を行うと共に、出血量、血圧数及び一般状態を確実に観察把握の上、輸血適応の状態に達したときには、時期を失することなく速やかに輸血措置を講ずべきであり、これに伴い、血液の性状につき凝固性が疑われるとき、又は多量の出血によつて生ずる出血傾向を防止する必要があるときには、線溶阻止剤や線維素原の投与をなし、輸血にしても新鮮血の大量輸血を施するのが当を得た注意義務ということができるとすべきである。

そこで、本件について検討すると、前示のとおり、同六時一〇分から同七時二五分までの間、メテルギンの静注、子宮内凝血除去及び各種タンポンの実施等の止血措置がなされた後、同七時二五分に血圧が七〇/五〇と下降しショック状態を呈したのであるが、このショックについては、出血量が前記のとおりであつて、且つ他に非出血性ショックと見るべき何らの証明資料もないので、この時点までに武子は出血性ショックに陥つていたものと判断することができるから、迅速な輸血措置が施されるべきであつた。またその頃既に前認定のように、流出している血液は暗黒色で凝固しにくいようにも見られ、引続き多量の出血があつたことからして、血液の凝固性を維持する措置が考慮されなければならなかつた。そして、同七時二五分以降アミノデキストラン輸液が開始された後、血圧は最高値が八〇mmHgより上昇せずに、同七時五〇分に最高五〇mmHgとなつていることから見ても、前記ガーゼタンポン挿入の操作と併合して、血圧、脈搏等の状態を把握しつつ、輸血の手配がなされていれば最善であつたが、少なくとも同七時二五分以降は速やかに、いかに遅くとも同八時頃までには輸血が実施されるべきであつたことが明らかであつて、同八時五〇分輸血が開始されるも、もはやショック状態の回復には奏効しなかつたのであり、被告名取の輸血の手配時期は遅きに失したものであつて、同被告には前示注意義務を怠つた過失があると言うべきである。また右の点のほかに、線溶阻止剤や線維素原の投与並びに新鮮血輸血について配慮していないことも指摘できる。

そして武子の主たる死因は弛緩性出血であるところ、前記のとおり、本件当時の医学界でも出血死の多くの例が迅速確実なる輸血によつて期待される成果が十分確実視される比率で助命できるとされており、また本件では被告名取において輸血手配に支障を来すべき事情の存在も認められないのであるから、右のごとく輸血が適時になされていたならば、武子の死は避けられたものと見ることができ、更に上記のような血液の凝固性維持のための措置が加えられたならばその可能性はより増大したであろうと言うことができて、結局被告名取の前記過失と武子の死亡との間には相当因果関係があると解すべきである。

なお前記手術は武子の直接の死因となつており、ショック状態の下では手術は行わないのが原則で、まず輸血によりショック状態を回復させる必要があるのは前示のとおりであるが、武子は輸血が時期を失したために、手術前に既に極度のショック状態に陥つていたのであるから、手術を実施すべきでなかつたとしても、本件ではこの点を過失として捉えるのは適切でなく、また貧血の点にしても、ザーリ六五%程度の軽症貧血の場合でも、近年の妊産婦貧血に対する処置から見て、各種の指導がなされた方が望ましかつたと言えるが、これらの欠如をもつて直ちに本件の出血死と結びつけることはできない。

また被告名取は、武子が昭和四〇年に扁桃腺摘除術を受けたことに同人の胸腺リンパ体質を疑う若干の徴表的意味を付しているかのように、同本人の尋問結果から認められ、これに関連して昭和四二年一月の初診時の問診の有無が原告らから逆に論議されているが、全証拠によるも武子が特異の体質により主要な死因を得たのであるとの証明はなく、また右初診時の問診の有無は前段までの以上の認定を左右するまでのものではなく、更に追究検討するまでもないものである。

ところで、被告都が被告名取の使用者であることは当事者間に争いがないところ、前認定によれば、被告名取の武子に対する診療は被告都経営の前記産院の事業としてなされたものと言うべきであるから、その余の点について見るまでもなく、被告名取は民法七〇九条により、被告都は同法七一五条により、それぞれ連帯して、武子の死亡に基づく損害を賠償すべき責任がある。

四そこで請求原因4について判断する。

1  逸失利益

〈証拠〉によれば、武子は死亡当時満三三才の健康な女子であつたことが認められ、当裁判所に顕著な厚生省第一一回生命表によると満三三才の女子の平均余命は41.32年とされており、また〈証拠〉によれば、武子は税理士である夫の原告裕と、原告真紀、同茂樹の子供二人の家庭の主婦として、家事育児の一切を取仕切り、家庭生活を営むうえに重要な働きをしていたことが認められ、本件事故に遇わなければ、少なくとも満六〇才に達するまでの二七年間は、主婦として必要な前記の労働が可能であつたと見ることができる。

ところで、武子は右家事労働に従事することにより少なくとも全産業の女子平均の労働はしていたものと解されるところ、逸失利益の算定に当つては、原告ら主張の資料は外のものに依るべき理由もないので、昭和四三年版労働省の毎月勤労統計調査総合報告書第一二表に従うと、昭和四二年度の女子労働者の平均現金給与額は、原告ら主張の月額金二万七四一七円を下らないと認められ、また武子の生活費は前記家族構成からして、右収入額相当の約五割である金一万三七〇九円を越えないものと認めることができる。

従つて金一六万四四九六円が武子の年間純収入と言うべきであり、二七年間の純利益から年五分の中間利息を、年毎のホフマン複式計算法によつて控除すると(二七年に対応する単利年金現価係数は16.8044)、死亡時における逸失利益は金二七六万四二五六円(円未満切捨)となる。

そして前記一に認定の事実及び前出戸籍謄本によれば、原告ら以外に相続人はいないことが認められるので、原告裕に生存配偶者として三分の一に当る金九二万一四一八円(円未満切捨)、その余の原告らはそれぞれ子として九分の二に当る金六一万四二七九円(円未満切捨)宛の右逸失利益の賠償請求権を相続したものである。

2  医療費

本件全証拠によるも、原告裕がその主張する費用を出損し、かつそれが本件被告名取の過失と相当因果関係を有する旨の立証がないから、この部分に関する同原告の請求は認められない。

3  葬儀費等

〈証拠〉によれば、同原告は武子の死亡に伴い、葬儀当日の諸費用のほか、通夜、初七日の法事費用、墓石購入費及び諸雑費として、約四〇万円の支出をしたことが認められるが、武子と原告裕の社会的地位と身分関係から見て、右のうち金二〇万円をもつて本件事故による損害とするのを相当とし、これを越える部分は本件と相当因果関係を有するものとは認め難い。

4  慰謝料

〈証拠〉によれば、原告裕は武子と昭和三四年一〇月に結婚してから本件に至るまでの間、原告真紀、同茂樹の二子を儲けて幸福な家庭を営んで来たものであるが、本件出産についても、これが無事終了するものと被告名取らの同産院における措置を信頼し、第三子の誕生を待つていた矢先、原告奈津の出生の日に最愛の妻を失うという悲しみに直面したのであり、また原告真紀らの三名は母親の愛情の下に重要な成育期を過す機会を奪われたのであつて、各原告らの精神的苦痛は甚大であると言うべきであり、右に加えて前記認定の過失の態様並びに諸般の事情に鑑みると、これを慰謝するためには各金一〇〇万円が相当である。

五以上の事実によれば、被告らは各自、原告裕に対し前記逸失利益の相続分、葬儀費用及び慰謝料の合計金二一二万一四一八円、原告真紀、同茂樹、同奈津に対しそれぞれ、逸失利益の相続分及び慰謝料の合計金一六一万四二七九円と、右各金員に対する訴状送達の翌日から支払済みまでの遅延損害金として、被告東京都は昭和四四年二月一三日から、被告名取は同年二月一二日から、いずれも年五分の割合による金員の支払義務を負担していることが明らかである。

よつて原告らの本訴請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条但書、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(安井章 岡山宏 野崎薫子)

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